そういう人に私はなりたい。




タイで見つけた手彫りのライオン。

チェンマイで掘り起こしたニッケルバッジたち。

先日の大阪でもベトナムに住む姉にどうしても欲しいと言われて、
と買いに来てくださった方がいました。

お姉さんはタイで探したけれどみつからなかったそう。

私もずっとタイで物を探してきましたが
偶然見つけたお店以外では見たことがないんです。

誰にも気づかれないような、ほとんど閉店しているような
いつも私が行くと薄暗い部屋に電気をつけるお店。

探しても簡単には見つからないから、
タイに行かれる方にも安心して買ってくださいね、と声をかけています。

これをめがけて朝から来てくださった方が多くて、
こういうものを購入いただけることがしみじみとうれしい。

現実的には役に立たない(と言ったら失礼だけど)
なくても困らない、けれど欲しいというのは
これ自体に強い魅力があるこそです。

そしてとても記憶に残っているのが手のモチーフに関するもの。

ひとつは、全く同じ手のバッジをお持ちになった方がいて、
「ご購入いただいたんですか?」と聞くと
「これは古着屋さんで見つけたんです。」と。

全く同じものを販売しているなんて、とびっくりしていると
「お店の方に聞いたらアメリカで買い付けたと言われて、
HuuHuuさんのInstagramで見つけてびっくりしたんです。」

そこでハッとした。
店主のおばちゃんが、昔アメリカ人の男性からオーダーを受けて
たくさん作っていたんだ、と言っていたことを。

おもしろい、こうやって物が世界を回っていろんなところで見つかるのって。

自分が見つけて気に入ったものを、全然違う人が全然違う場所で見つけてくる。

「これがすごく気に入っていて失くすのが心配だから
保存用にもうひとつ欲しくて買いに来ました。」

ああ、そんな風に思ってもらえるなんて本当にバイヤー冥利に尽きます。

そしてもうひとつ。

たまたま通りかかって、一瞬通り過ぎて、再び戻ってきたおばあちゃま。
白髪のショートに全身白からベージュのトーンで揃えている。
麻の涼しそうなニットに、リネンのパンツ、首元にはインドの繊細な刺繍が入ったシルクストール。
とてもとても素敵な方。

その女性が手に取ったのが手のモチーフのバッジ。

「これ素敵ねぇ。」としげしげと眺めてらっしゃる。

どんな風に見つけたのか説明させていただいたけれど、
こういう時、どんなものかなんて本当は関係ないのだろうな。

好き、と思った瞬間に説明抜きで好きなのだから。

「壁に飾りたいわ。この手に似合う指輪を作ってあげるの。
こんな良いものに出会えて、本当にうれしい。ありがとうね。」と。

生活に必要なものって現実的にたくさんあって、
そんな中で心の琴線に触れる何かを見つけてお金を使っていただけること
改めて感謝と感激が湧いてきました。

そういうものを届け続けられる、
そういう人にわたしはなりたい。


久しぶりに読み返してみた、素晴らしい詩。



雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういう人に

わたしはなりたい

「アメニモマケズ 宮沢賢治」




コメント

人気の投稿