Kill Time
隔離生活6日目になりました。
日々の生活にルーティーンを作って、心身ともに健康的な生活です。
比較的、というかかなり順応性が高いので、南インドのアシュラムに2週間とか、ネパールの地震後に1か月山でキャンプとか、かなり制限された、ある意味で過酷な中でも楽しみ見つけられるので、今回の15日なんて余裕でしかないと来る直前に気付いた。
6日経って思うのは、日本での生活において、どれだけ欲が多かったかということ。
ここでは外に出られないし、与えられる3食と水と部屋の中の空間のみだから、この中でいかに快適に過ごすかにフォーカスがいく。
もっとあれ食べたい、外に出たいとか、Netflixでドラマ全話見、そんな生活を想像していたら、まだ日本食にはお味噌汁しか手をつけていないし、1日1個は食べられようにと持ってきたおやつはほとんど食べていない。
日本にいる時は、英語で言うkill time(時間を潰す)に近くて、他にやろうと思えばできることがあるのに、めんどうくさいと思う気持ちが勝ったり、やる気がなかったりで、「なんとなく」ネットを見てる時間が多くなってたんだなぁと。
ここにいると限られた空間だけど時間は山ほどあって、しかもすべて自分のために使える時間で、そうすると時間や行動のひとつひとつに意識が向くようになる。
不思議なことに「めんどうくさい」がまったくなくなるし、行動がゆっくり丁寧になる。
「時間はたっぷりあるのだから。」と思うと、お皿を洗うのも、洗濯をするのも、こうして1日ひとつと決めて文章を書くのも、その作業だけに集中する。
出てくるごはんも、たまに本当に食べられないようなおいしくないものもあるけど、腹が立つことはない。
「ふむ。」と思って、何かしら工夫して食べるか、まぁ1食食べなくても問題ないし、とフルーツだけ食べたり。
選択肢が多すぎると人って自然とわがままになるんですね、当たり前なのだけど。
今みたいに超情報社会の中では、自分がきちんと芯を持って立ってないとただただ振り回されてしまう。
生きてくのに必要なことって本当はすごく少ないし、少ない方が楽なんだ。
ちょうどタイに到着した日、長く闘病生活を続けていた友人が亡くなったと連絡が来た。
最後まで「ありがとう。愛してるよ。」とみんなに言い続けて。
自分にとってどうでもよい時間が、誰かにとって絶対に手に入らない時間でもある。
毎日目標を持ってがんばれ、なんてまったく思わないですが(嫌なことからは全速力で逃げろと言ってる)、健康で、今こうしていることへの感謝は忘れずにいたい。
「なんとなく」が一番タチが悪いからやめよ。
日々の生活についてもまた書きます。
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