メンテナンス
この15日の隔離とそのあとの30日のタイ滞在、自分の中でなんとなくテーマを決めていて。
「自分自身と向き合うこと」
非常に意外と思われることが多いのだけど、私は心配性、緊張症です。
歳をとってだいぶマシになったけれど。(それは経験や良い意味での無神経さがついたから)
話が一瞬それますが、歳をとってからの方が旅行は面白い、というのはよく人に言っていて。
なぜかというと、若い時ってどうしてもかっこつけたかったり臆病だったりして、人の目を気にしすぎて、大きなジェスチャーで伝えたり、ちょっと敷居の高いお店に入ったり、迷子になっても道を聞いたりできないことが多いですが、歳をとるとほとんどなくなります笑
おばちゃんたちが楽しそうに団体で旅行してるの、嫌だなぁ~って思ってましたが、今はその気持ちがよくわかる。
戻ります。
で、だいぶマシになったものの、初めて行く場所や初めてやること、そこがどんな地味な場所でもどんな普通なことでもすぐ緊張スイッチが入ってしまう。
若いころはもっとひどかったので、やってみたいけど諦めたことがたくさんあった。
ワークショップ(出る方もやる方も)やお話会、知らない人がたくさんいるところはとにかく避けていた。
人からは落ち着いて見えるようだけど、朝、動悸で目覚めることも。
買い付けの時は、行く前から緊張しているし(飛行機嫌い)、行ってからも自分でプレッシャーを作り出して夜もうまく眠れない。
無駄にセンチメンタルになるのが好きだったので「ああ、ここのベッドで寝るのもしばらくないのか。」とか「こんなにおいしいお米もしばらく食べられないのか。」と思いがちで、なんとなく不安な気持ちを抱えて旅立つことが多かった。
今回は特にイレギュラーな渡航で、手続きの面倒さ、費用の多さもさることながら100%入国できるわけではない、という不安があって、行こうかなと妄想している時はとにかく楽しみだったのですが、現実的に行くと決まってからはかなりそわそわと落ち着かず、動悸や手の震えが絶えなかった。
なので、今回の旅はとにかく自分を見つめ直すこと、メンテナンスをすることを目標にした。
前の日記でも書いていますが、買い付けというよりは自分自身のための時間にしたかった。
一番はとにかく苦手な瞑想の練習と、哲学書を読みながら勉強したり、もちろんヨガも。
不安になりがちな心を安定させたかった。
ところが。
出発が迫った1週間前に動悸で目覚めて、起き上がったときにふと。
「ああ、こういう気持ちもいつかすべて終わっていくんだ。」と。
当たり前すぎて、もう考えもしなかったことですが。
いつもタイに行く日を楽しみにして、あと何日、と数えているけど、気づいたらタイに来ていて、帰りの日は迫って、そして必ず日本に帰り、過去になっていく。
今まで生きてきて死にたいくらい辛かったことも、歯がギシギシ言うくらい腹が立ったことも、大泣きするほどうれしかったことも、必ず終わりがやってきて過去になり、思い出さなくなる。
そう思うと、急に動悸がなくなり穏やかな気持ちが戻ってきたし、むしろワクワクする気持ちも出てきた。
ベッドが…とか日本食が…とか家族と離れるのが…とかも、長い人生の中のほんの一瞬だけ。
恋しいと思っていたこともすぐ日常になってしまうから、離れる寂しさよりも今この瞬間を味わいたい。
数年前に父が亡くなり、闘病中はとにかくとにかく人生でこんなに辛いことはないと言うくらい家族全員が疲弊していて、最期を看取ってしばらくして思ったのもそれだった。
「いつか必ず終わりが来るんだ。」
それに救われた。
ネガティブっぽく聞こえるけれど「明けない朝はない」よりも「いつか必ず終わりが来る」の方が私にはしっくりくるんだな。
「今ここ/Be Here Now」
瞑想しなくても悟った=腑に落ちた瞬間だった。
あ、でも瞑想の練習は続けてますよ!
この生活でなければできないことがたくさんあった。
本当に感謝。
コメント
コメントを投稿