カレン族の住む村へ


チェンマイから車で3時間ちょっと、カレン族の村まで行ってきた。


行きたいと長年思いながら行動に移せず、目的が同じ友人と手伝ってくれる友人たちのおかげでようやく実行に移せた。


一番の目的はカレンシルバーの製作工程を見ること。


詳しそうな方に聞くと、銀の材料費高騰やコロナの影響により村ごとシルバー製作をやめてしまったところも多く、行ってみたけど村ごともぬけの殻だったという話も聞いた。


調べていてもしょうがないし行ってみてダメなら仕方ないし、とにかく行ってみようとチェンマイを出た。


チェンマイから離れて山に近づくほど、高い建物がなくなり木々が増え、野焼きの影響で空は驚くほどくすんでいたし、あちこちで山を焼いている様子も見えた。


法律では禁止しているようだけど、夜中に隠れて山に入り焼くそうだ。


山火事にならないように、先にある程度燃やしているという話も聞いたけれど真実かどうかはわからない。


予想していた山道ではなく、道はすっかり舗装されていて、最初の目的地に無事到着。




そこは政府(OTOP)も関わっている手工芸センターのような場所で、観光客の多い時期は広い敷地で織物や糸紡ぎ体験もできるようだけど、今は敷地には誰もおらず、朽ちた家もあり、中心にあるのは静かなお土産屋さんだった。


カレン族の衣装、織物、カレンシルバーが並んでいる。


手織りの肩掛けバッグの中でも、カレン族のカラフルなものが好きで来る度探すけれど、街中では優しい色合いの物しかなく、山岳民族のマーケットや展示を回ってカラフルな物を探していた…ら、いつも購入しているカレンのおばちゃんがこの手工芸センターの人だった!


年に1回くらいしか出会えないので、どこからやって来ているのかが分かって非常にうれしい。


買い付けを続ければ続けるほど、どこから来て誰がどんな風に作っているのか、その大元を知りたくなる。


これからこのバッグを買うときはこの村の様子が頭に浮かぶだろう。




広い村には塀や仕切りがなく、土地と土地の境界線がなく、言ってみれば全体が大きな家族のような雰囲気。


チェンマイにいると全ての家に塀があり、門があり、柵があり、日本よりもずっと敷地に関しては厳しいように思える。


村のことを調べてみると、1975年に正式に村として認められ、その成り立ちは当時村々をまわって教えを説いていた高僧がこの場所に定住し、それに合わせて多くのカレン族がここに住み着いたことから。


*この村全体は厳しい仏教の教えを守り菜食主義を貫いているそう、私たちがお昼に食べた麺もベジタリアンだった。


軒先のあちらこちらで若い女の子からおばあちゃんまで、カレン族独特の腰機(こしばた)、織り機の原型とも言われる方法で布を織っている様子を見せてもらう。


突然の来客に嫌な顔ひとつせず、正直他国の山岳民族の村では「買ってほしい」と囲まれるのに慣れていたので、何も言わずニコニコしていることにも驚いた。


手工芸センターのおかげで、買い取ってくれる先があるのも理由かもしれない。


『すごくゆっくりしか織れないからバッグの大きさの布を織るのに3日かかる。上下の衣装だと1週間かかるの。』


学校や家事や子育て、仕事の合間に、軒下にござを敷いて腰機を付けて毎日少しづつ織っていくのだろう。


2021年とは思えない、外の情報は入ってきているだろうに、ただ淡々とそれをやり続けることがいかにすごいことか。


このセンターでシルバーを作ってるところはないか聞くと『いちばん大きな仏塔の横にあるお店でやってるけど、今日はいないと思うよ。』


ざっくりした説明を元に仏塔を目指し、ゆっくり車を走らせるとそれらしいお店が見えてきた。


続きます。









 

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